2018年1月25日木曜日

相田啓介:近代漆器

仮に近代漆器という定義を想定します。
1、産地の匂いのしない、産地らしさの極めて薄い漆器。
2、制作者の独自性の強いもの。
3、手作りであること。
4、使い手の立場に立って製作されたもの。
5、長い年月を耐える堅牢性を目指したもの。
6、天然の素材又はそれ を加工したものであること。
7、美しいもの

勝手なことを並べましたが、これが近代漆器、つまりこれからの時代を漆器が生き残るための条件と私は思い込んでいます。

磯矢陽 野田行作 奥田達朗 澤口滋 この4氏がその先駆者ではないでしょうか。
試行錯誤を繰り返し、年月をかけて自分の作風を確立した人達です。そして、その作品をお金に換える為の苦労をし尽くした話も聞いています。磯矢氏は芸大の教授ですので売るための苦労はされなかったと思いますが、自分自身でその独自の木地を手作りする苦労をされていたようです。
 
北大路魯山人も独自の漆器を作りましたが、彼は漆の仕事には極めて無知であり、山中という産地の塗師屋辻石斎や漆芸家呉藤友乗氏の能力と協力によって作られたものであり、4氏とは、はっきり違うと私は考えます。時代も違います。

今の時代、先に上げた様な幾つかの条件に当てはまる、あるいは近いと思われる漆器製造者、漆芸作家は結構多いと思われます。産地の崩壊は目の前にあって、すでに現実の事なのです。産地的な仕事から離れていくのは必然の流れなのです。

そして漆の仕事が生き残るためには先に上げた様な条件
をクリアーすることが大切ではないでしょうか。その中で特に重要なポイントは5番目ですが、そのハードルは高いと思われます。使い手の立場に立つ、と巧みに言葉を弄しても、そう簡単にクリアーは出来ないのです。堅牢性を保つ為の仕事とは、まことに大変な技術と労力を必要とし根気も、また必要とされる地味な作業なのです。


輪島にkという売れっ子の漆作家がいました。彼は椀を製造の主体として活動していたようです。その椀はほとんどの場合下地が施してなく、使用すれば程なく壊れてしまう代物だった様です。ただしその椀を「つかうために」とか「使うとよい」とか「使いやすい」とか、は一言も言わなかったそうです。一種の飾り椀だったのかもしれません。それ以降kに憧れていいかげんな下地の椀を作る作家が増えたようです。
半年や一年程しか使えない椀は漆器のファンを失います。
こんなものは、これからの時代を担う漆器とは言えません。

昨年、数多くの作り手を集めた大きな漆器の展覧会が開かれたそうです。出品者の中には仕事のレベルも高くまた高い志を持った作り手も参加していたようです。この様な時代ですので玉石混淆となるのは仕方のないことですが、玉が石の引き立て役になっているようで無残な気がしました。


相田啓介作:木地呂大椀