2017年1月31日火曜日

言語の限界と再生

展示会の主催者の器の店 ノーション。優しい光が灯る。

国立のノーションさんは器以外の工芸品も面白い物が多数あり、


部分的に言い切ってしまうと2月25日から3月3日まで複数の人的な集いによる工芸品を展示し、そして即売するという企画に参加することになりました。
上記のこの現象を全体の部分として捉えるか総体の要約として捉えるのか、といった事は個人の主観的な判断に阿るはかはなく、これを安易にグループ展やりますー!よろしくね!的な紹介をしてしまっては余りにも無感情かつ利害を見積る意図が見えすいていると思われる恐れがあります。

展示会のタイトルは「器と和菓子の美味しい関係」

フェルディナン・ド・ソシュールは「1つの語、1つの言葉はその総体的な文章(変化の中にある状態)における言語活動全体との関係で理解されねばならない」という原則を打ち立てました。言語を抽象化しある時点の状態において、1つの全体、1つの総体として捉えその語の用法の先例と現在の状態を総体化することによって1つの構造、1つの体系として把握してゆく事を定義づけました。
つまり語は恣意的なものであり、もの(物)とそれを示す語との間には当然の結びつきとか自然発生的な結びつきは全く無いのです。記号というものは恣意的なものであり記号の相互間の関係においては、記号自体によってできている総体によって規制されます。その総体とは、つまりある時点における言語や言語活動のことで、ソシュール的観点で今回の展示会のタイトルを把握するのであれば、この美味しい・・・という語がある種のロジックとなることと思われます。
記号の総体化を阻む関係、、、、、。
この旨い・・・でも甘い・・・でもない美味しい・・・の裏側には主催者の強い意志を感じ取る事が出来る、、、、のかもしれません。

漆器と骨董と和菓子の企画展
「器と和菓子の美味しい関係」     2月25日~3月3日まで。(2月28日は定休日)
国立市  器の店ノーションにて。

どうぞよろしくお願いいたします。




屋号の置物的な何か、、、、商品なのでしょうか。

先日の店内はセラミック多め。

オブジェもちらほら。

今回のDM
DM表面。駅から数分という立地を説明する地図が印刷されている。



お菓子とコラボという事なので仕事場近くで買ってきた練り切りを自作の器に盛る。

春っぽい、、、かも。




ノーションさんの数十メートル先には料理と酒と珈琲の台形さん(古書も有り)がある。画像は入口正面の看板。


少し前にオープンした台形さんが実はノーションさんのすぐ近くにある、、、という事を知り帰りに寄ってみました。その実態が巷のバーともビストロ風の何かとも全く違う言語化不能な雰囲気は行ってみないことには分からない言葉の向こう側の抽象性を秘めた飲食店。ノーションへ来られた際には是非、、、と推薦せずにはいられないアンダーグラウンド感に圧倒されたのでした。



壁一面にかけられたイルでドープなものの数々。


観葉植物も素敵、、、とその隣にはドープなブッダが、、、、


この調子でお酒も一筋縄ではいかぬ味。変化球型ビオワイン数種を常備。
店内のBGMはシカゴ音響派が、、、、Bar業界のイルシット。

、、、、、、と今回は書いているうちに訳が分からなくなってしまいました。
展示会どうぞよろしくお願いいたします。










2017年1月16日月曜日

昨日のこと。

Jupiter8 50mm f2

今日は、、、、、カメラについて書いてみようと思います。
どうしてもこういった事を書くと”うんちく話”のきらいがあるのですが、もう寒いし仕事場の事を書くにもネタ切れ感もあり、ちょっと箸休め的感じで更新してみました。

事の発端は、昨日お椀を買っていただたり、それをご自身のブログで紹介して下さったりと、最近大変お世話になっている古道具「青蓮亭」さんとのFacebookのコメント欄でのやり取りで、コンタックスのプラナー(カメラレンズ)の話題になり、ふと自分の持っているジュピター8の事を思い出したのでした。
このジュピター8というレンズはソ連邦時代に作られたレンズでカールツァイスには恐らくは無許可で、ゾナーのレンズと同じ設計で作られたコピーレンズ、、、、らしいのです。
らしい、、、、というのも公式な情報も専らないみたいだし、レンズをバラした訳でもないのでインターネット上での情報を信用して書いているからです。使ってみてはどうか、、、、と言われても本歌のツァイス、ゾナーを使用したことが無いのと、そういった設計上の違いがどの様に写りに反映するのか、といった事が詳しくは分からないので、この情報を鵜呑みにするほかなく、なんとなく気分で使っている、、、、に過ぎません。
巷の本では
「凹凸のレンズを微妙に間を開けて配置し、凹レンズの片面は緩やかな凸面をもつメニスカスとする構成の望遠鏡対物レンズをカール・フリードリヒ・ガウスが発明した。この形式のレンズを2つ用意し、絞りを挟んで対称形に配置したポートレートレンズが登場する。これがダブルガウス型であり、写真用撮影レンズでガウス型と称する場合はダブルガウス型を称している場合が大半である。このガウス型の発展形として名作の誉れ高いレンズにプラナーがある。(図1)

図1:プラナー

この構成は、ガウス型が大きく発展する前の時代にはゾナー型と覇権を争っていた。対称形のレンズ設計を基本とするガウス型とは異なり、ゾナー型ではレンズの後群を3枚貼り合わせの構成としているのが特徴である。(図2)レンズを貼り合わせて空気に触れる面削減することにより、反射コーティングの技術が発達していなかった時代にはガウス型よりも光量損失やゴーストの出現が少なく、斜めの光線に対して集光点が彗星のように尾を引くコマ収差も少ないなど美点の多いレンズ構成」

図2:ゾナー

、、、、、、と本にはアワアワしそうな事が沢山書いてあるのですが、とりあえず気分で使う、、、、というのがカメラの定石なのだろうと思います。多分。

で、そのジュピター8で撮ってみた画像。

白っぽい絵に向いてるかも、、、

と勝手に思っている。

影の写りが淡いレンズなのかも、、、、、。

ジュピター8
今日は仕事の事が全く書かれておりません。サラッと流し読みしていただけたらと思います。

2017年1月5日木曜日

BGMは、、、、、。

年末年始は木地を制作。

今日は今年の抱負のブログです。抱負というものについて考えてみようと思います。
手堅い抱負をお正月に打ち立て他人にひけらかす。こういった事はお正月の一種の流行りのようなもので、意志の持続力が弱くすぐに塗り替えられる糊塗、、、であるはずなのに毎年この行為を人々は常習的に続けています。この抱負というある種の怨念は何を訴えかけているのでしょうか。このメカニズムを探ってみようと思います。

例えば、流行歌のようなものを聴いて受験勉強をしていた少年がいたとします。
今時の受験生にしては、ちょっと懐かし気な「おどる亀ヤプシ」が心に沁みる、、、そんな少年が見事志望校に合格し、都会の生活に馴染むため、と突然にディアンジェロの「ブラックメサイア」以降の例えばロバート・グラスパーなどの70年代のスピリチュアルジャズを彷彿させる音楽に興味を抱く様になりタワレコが陰ながらイチオシするシャバカ・ハッチングスが専ら通学路のBGMになり、最終的にムラトゥ・アスタトゥケを敬愛しアフロビートなしでは生きてゆけなくなる、、、、こういった話は都会によくある事例です。

その一連の経過を考えると人間の趣向が変わるといった事がその人にとって心的に及ぼす何事かの影響は健全さが必要であり、そういった健康的な何かを精神は欲しているのかもしれません。

しかしながら、その急激な趣向の変化について一分の後ろめたさも僅かな未練も全く無いのでしょうか。きっとそうではないはずです。「おどる亀ヤプシ」を聴いて育まれた思い出は静かに佇んで自己を形成する何かへと成長しているはずです。

こういった自己に内在する気持ちは急激な趣向の変化によって始めて気付く事であって、こういった「気付き」を自覚するということは自己を鑑みるという、一種の自愛の覚醒という現象を目論んでいるのかもしれません。
抱負を打ち立てることによって急激な趣向の変化を経、自愛が覚醒する、、、、、、といった心的効果は、忘年会で疲れた精神を癒す為には必ず必要な儀式、、、、、なのだろうと思います。



今年もどうぞよろしくお願いいたします。




制作中の皿。

木地を作るのに結構時間がかかってしまった。

この木地を作っていたため、

年賀状制作は全くしていない、、、、のです。

今年の抱負、は、お正月中に出来なかった年賀状制作をし、「寒中御見舞い」として皆様にお届けする、、、、、、という事です。
どうぞよろしくお願いいたします。