2018年2月14日水曜日

相田啓介:L型スプーン

私が漆塗りのスプーンを作り始めたのは昭和55年と記憶しています。
大阪のMさんからの注文がきっかけでした。当時、会津に鈴木さんという細工物の木地屋さんがおられ、以前私の父が戦後にアメリカへの輸出用のサラダサーバーなどを作っていただいた縁でスプーンの木地を引き受けてくださいました。

当時は漆器が売れていた時代で、スプーンのような小品は手間のかかる割には儲からない仕事で嫌がる製造者も多く、またアイテムとして認知されていなかった事もあって、誰も漆塗りのスプーンは作っていませんでした。
下地法や上塗り等どんな手法で施せば良いのか、全くの手探りでした。
鈴木さんの木地は綺麗な仕上がりで木地代金も安かったので私も出来るだけ安く良いものを作ろうと必死でした。試作を繰り返し何とか世に出すことができました。そして、そこそこの評判を得ることができました。

初期のスプーンのデザインは木地屋さんと何度も相談して出来上がったもので、私自身は今一つ納得ができなかったのですが、一旦世に出してしまうと形を変える訳にも行かず、また木地屋さんにも難しい事を言いにくく、同じような形で通していました。
そうしている内に自分で納得できるものが作りたくなって来たのです。
以前見たことのある朝鮮時代の金属の匙が気になって仕方ありませんでした。また、その頃グラスファイバーでできたドイツ製グライダーの機能的な美しさへの憧れに近い気持ちがあって、何度か渡良瀬川の滑空場へ足を運んだものです。グライダーの胴体の造形だけでも素晴らしいと思います。
その様な思いも稔って、昭和57年頃に新しいタイプのスプーンを作り出しました。
アルファベットの筆記体のLの文字の形に何となくその造形が似ていることからL型スプーンと名付けました。今こうして眺めてみるとそれほど良い出来とも思えないのですが、当時は良かったと思っていました。

15年間漆塗りのスプーンを作り続けましたが、残念ながら木地屋さんの鈴木さんが亡くなられたので終わりになってしまいました。思えば木地屋の鈴木さんは造形センスも良く、仕事も早く丁寧でした。鈴木さんの人柄もあって続けられた仕事だったと思います。
全部で8万本くらいは作ったと思います。今考えてみると信じられないような数を作ったものです。

作り始めの頃は競争相手もいなかったのですが、次第にあちらこちらで漆塗りのスプーンを作る人も増えて、中国で作られた粗雑な大量生産品なども市場に並び、漆塗りのスプーンは漆器のごく普通のアイテムになってしまいました。
今ではL型スプーンと同じ形状のプラスチック製の朱色のスプーンを外食チェーン店でも見ることができます。






相田啓介作 L型スプーン

朝鮮時代のものと並べる。

朝鮮時代の匙は種類も豊富で尚且つ美しい。

浅川巧の「朝鮮陶磁名考」でも少し紹介されている。




2018年1月25日木曜日

相田啓介:近代漆器

仮に近代漆器という定義を想定します。
1、産地の匂いのしない、産地らしさの極めて薄い漆器。
2、制作者の独自性の強いもの。
3、手作りであること。
4、使い手の立場に立って製作されたもの。
5、長い年月を耐える堅牢性を目指したもの。
6、天然の素材又はそれ を加工したものであること。
7、美しいもの

勝手なことを並べましたが、これが近代漆器、つまりこれからの時代を漆器が生き残るための条件と私は思い込んでいます。

磯矢陽 野田行作 奥田達朗 澤口滋 この4氏がその先駆者ではないでしょうか。
試行錯誤を繰り返し、年月をかけて自分の作風を確立した人達です。そして、その作品をお金に換える為の苦労をし尽くした話も聞いています。磯矢氏は芸大の教授ですので売るための苦労はされなかったと思いますが、自分自身でその独自の木地を手作りする苦労をされていたようです。
 
北大路魯山人も独自の漆器を作りましたが、彼は漆の仕事には極めて無知であり、山中という産地の塗師屋辻石斎や漆芸家呉藤友乗氏の能力と協力によって作られたものであり、4氏とは、はっきり違うと私は考えます。時代も違います。

今の時代、先に上げた様な幾つかの条件に当てはまる、あるいは近いと思われる漆器製造者、漆芸作家は結構多いと思われます。産地の崩壊は目の前にあって、すでに現実の事なのです。産地的な仕事から離れていくのは必然の流れなのです。

そして漆の仕事が生き残るためには先に上げた様な条件
をクリアーすることが大切ではないでしょうか。その中で特に重要なポイントは5番目ですが、そのハードルは高いと思われます。使い手の立場に立つ、と巧みに言葉を弄しても、そう簡単にクリアーは出来ないのです。堅牢性を保つ為の仕事とは、まことに大変な技術と労力を必要とし根気も、また必要とされる地味な作業なのです。


輪島にkという売れっ子の漆作家がいました。彼は椀を製造の主体として活動していたようです。その椀はほとんどの場合下地が施してなく、使用すれば程なく壊れてしまう代物だった様です。ただしその椀を「つかうために」とか「使うとよい」とか「使いやすい」とか、は一言も言わなかったそうです。一種の飾り椀だったのかもしれません。それ以降kに憧れていいかげんな下地の椀を作る作家が増えたようです。
半年や一年程しか使えない椀は漆器のファンを失います。
こんなものは、これからの時代を担う漆器とは言えません。

昨年、数多くの作り手を集めた大きな漆器の展覧会が開かれたそうです。出品者の中には仕事のレベルも高くまた高い志を持った作り手も参加していたようです。この様な時代ですので玉石混淆となるのは仕方のないことですが、玉が石の引き立て役になっているようで無残な気がしました。


相田啓介作:木地呂大椀

2018年1月18日木曜日

スプーン苦

今年の年賀状。今年もよろしくお願いいたします。


今日のブログは今年の年賀状のスプーンを制作しました、、、、という報告です。

毎年年賀状は干支のモチーフで苦しんでいるのですが、今年はそういった図案で悩む時間が無かったので、安直にスプーンのエスキースを版画にしてみた、、、のでした。

毎日やっていることの延長線上なので図案は30分で出来上がり、版木の制作が2日間、摺りが1月30日と31日の大晦日の2日間、計4日と30分で出来上がった(正確には正月気分でもの凄くダラダラやっていたので1日半位の労働だと思う)のですが、賀状だけでではブログのネタにもならないので、実際にスプーンを制作してみようか、、、と。




この形が1番大変だった。


しかし、30分で適当に画いたエスキースを立体に起こす作業は結構大変で、上の画像のスプーンなんか途中折れてしまったり、刃物の角度を変えてみたり(なぜ刃物の角度を変えるかという事は説明が大変なので割愛)と色々な試行錯誤がありました。


これも結構面倒くさい形だった。

1本目は割と楽しかった、、、、

裏。


鍵の図鑑を眺めてながらダラダラやっていたので版画のスプーンは何だか鍵っぽい。


鍵の図鑑。

今日のブログ何だかダラダラしてます、、、、
、と今年もよろしくお願いいたします。

2017年12月9日土曜日

ちょっと、お知らせ、、、

展示会へ来て下さった皆様大変ありがとうございました。

もう仕事場へ帰ってきて数日が経っており、このままではまた一ヶ月に一回のブログ更新になってしまいそうなので、ちょっと作品紹介を兼ねてのお知らせです。

今回のブログのお知らせというのは、、、、、京橋のgalerie nonさんに何点か作品を置いてもらえる事になった、、、という報告なのですがこのgalerie nonさんの説明がちょっと難しいのです。

ショップサイトを見る限りではオシャレな雑貨などを扱うお店という感じなのですが、実際にお店へ伺った印象は雑貨のお店というよりはアートと古物と洋服とちょっと本と数枚のCDと何となく説明が難しい小物みたいなものなどと雑貨を扱うお店、、、、なのです。

説明が難しい、、、、

もう少し分かりやすく説明すると、

京橋の骨董通りにあるお店で、たくさんの骨董店の延長線上の雰囲気で本当は骨董店ではないのだけれど何となくイイ感じで気づいたら何か買ってしまっていたという感じのお店、、、、なのです。

とりあえず説明が難しいので、実際に行って見ていただけたら、、、と思います。


京橋界隈へお越しの際はgalerie non京橋店へ立ち寄ってみて下さい。


galerie non京橋店。西荻店には作品を置いてないので、ご注意を。

正面ファサード。

店内は説明が難しい物が並んでいる。
白い石みたいなやつは、なんだろう。

温度計は売り物なのだろうか、、、

これは、、、、絵描きだ、、、、

この手の皿もgalerie nonさんに並んでいます。

スモークチーズだと2キレイケる。

4キレだった。スモークチーズ4キレ訂正。
ウイスキーは安いヤツです。

2017年11月24日金曜日

だって、作りたかったんだもん。


空想上のアフリカ。



今日も作品紹介です。


本当はこういった物は画像を見せることすら恥かしい、、、のですが、

作ってしまったので紹介します。

制作のプロセスとしては、前回紹介の茶葉を掬うスプーンを作っていてモチーフとして空想上のアフリカをイメージし、スプーンを作っていました。

なん本かスプーンを作り続けてゆくうちに、スプーンという実用性に造形が制限されているような感じがしてきて、造形として何ものも制限の無いところで空想上のアフリカ、、、をやってみたくなり制作しました、、、、、。


どうなのでしょうか、、、、、、

これも、展示会用のアイテムです。

11月29日~12月5日まで、
二子多玉川高島屋 本館5階 器百選

相田漆工 二人展

来週からです、、、
どうぞよろしくお願いいたします。

意外とぺらっとしてるので自立させるために、

台を作った。

台はなるべく華奢な感じにしたかった。

裏側。

黒っぽいのも作った。

裏側。

こんな感じのです、、、、

2017年11月23日木曜日

相田啓介:爆弾漆始末記

前回、爆弾漆の由来などを述べましたが、実際にそれを使用した体験や感想などを書き連ねてみたいと思います。

70数年前の漆を、いくら何でもそのままそれ一本で使うことは出来ないので、手持ちの漆と(爆弾漆)4:6(手持ちの漆)でまぜあわせました。爆弾漆は乾き出し乾き始めが大変早く、刷毛目も残りフシ(チリ)を上げた跡も残ってしまう厄介なものでした。そして、下手に湿気を与えすぎると白く焼けてしまう、気難しい漆だったのです。
 
しかしその強さ、肉持の良さなど第一級のものですので、何とかしたいと思いました。
手持ちの漆を混ぜようが、その強烈な個性が際立ち、そして主張してしまうのです。
多分、初鎌漆(6月ごろに採取する大変乾きの早い漆で通常は精製漆にしない)をかなりの分量の割合で混ぜ合わせて「くろめ」てあると思われました。
どんな条件の下でも乾くのは、軍需用漆として当然の事なのでしょう。10数年前に、別の爆弾漆を使用していた知人も、やはり同じ様な特性の漆であったとのことでした。60年前の漆にしては粘度が低く、その点では使いやすかったそうです。

現在生産された漆が60~70年後に同じ様な漆として使用できるかどうか分かりませんが、言えることは今の漆は細い若木の漆であり、70年前の爆弾漆は多分年数を経た太い木の漆が主体ではなかったかと思っています。今の若木の盛り漆(いちばんよい時期に採取した漆)は粘度が大変低く「サラサラ」といった感じで大変使いやすい漆ですが肉持ちなどはそれほどでもありません。太い木の漆は肉持ち強さ共に良いのですが、少し粘りがあります。爆弾漆が70年前どのような漆であったのか今は知る事が出来ません。想像してみるだけです。
たとえばウイスキーやブランデーやワインなどは60~70年物ともなれば大層なものですが、初期の品質が良くなければそれだけの年数には耐えられないそうです。
漆も元が良くなければ、それだけの年数には耐えられません。
この爆弾漆を何とか使いこなすのには「くろめ」直しをしてみる他に手は無いと考えが及びました。

漆の「くろめ」(精製)とは漆に熱を加えながら攪拌し、ゆっくりと漆の中の水分を抜く作業の事です。精製漆(くろめ漆)は、特に日本産漆の場合は年数の経過と共に空気中の水分をわずかですが取り込みます。その結果乾きが速くなり刷毛目が立ちやすくなりうまく塗れなくなることがあります。もう一度水分を抜く、つまりくろめ直しをすれば良いのですがあまりお勧めは出来ません。枯れこみ、つまり固まり方がおそくなりわずかに粘度も高くなります。

今回はくろめ直しがうまくいったようです。塗りやすいという程では無いとしてもなんとか使いこなせる程にはなりました。ただし厚塗りは厳禁です。
うまく塗り上がったこの漆のこっくりとした深みのある塗り肌は格別なものでした。
この様な骨董品とも言える漆を塗ってみて、また一つ漆の奥深さを知ることが出来ました。
今度の二人展にその一部を展示する予定です。このような年代物の漆のすばらしさを多くの人に感じ取って頂きたいものです。


バクダン漆で塗り上げたお椀。



裏側。




11月29日~12月5日まで、
二子多玉川高島屋 本館5階 器百選

相田漆工 二人展

よろしくお願いいたします。